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やまとアートシャベル 美術館研修レポート<クリスチャン・ボルタンスキー展>

対話で美術鑑賞 2019年09月04日

猛暑の7月、話題の「クリスチャン・ボルタンスキーLifetime」展(国立新美術館)で、<やまとアートシャベル>のフォローアップ研修を実施しました。大和市の「対話による美術鑑賞」事業で活動するアート・コミュニケーター、通称 ”シャベラー” が、実際の展覧会で対話型鑑賞を実践する美術館研修です。

子どもたちの美術館プログラムと同じように、グループに分かれてまずは全体を周った後、進行役を交代しつつ、いくつかの作品をじっくりみながら対話します。冒頭からショッキングな映像を突き付けられ、人間の過去の悲しい痕跡にいやおうなく向き合うこともあり、独特な表現や雰囲気に心がドキドキ、ざわざわ落ち着かなくなってくる人もいます。「自分ひとりだったらこの作品は見なかったと思う。」対話型の鑑賞の現場でよく聞く言葉ですが、今回の展覧会も「研修でなければ来なかった」という人もいました。けれどもその後にこう続きます。「だけどみんなと一緒に見ているうちに、だんだん印象が変わってきた。」「パッと見た印象で決めつけて、なんとなく見たくないと思い込んでいた作品も、みんなと話しながらだと自然と向き合える。」

振り返りではこんな言葉も聞かれました。「作品に対して生じる嫌悪感やネガティブな気持ちも、どうしてそう思ったのか、もう一度作品を見直したり、違う見方をする人の発言を聞いたりしているうちに、考えが膨らんで少しずつ作品との距離も縮まった感じ。」「絶望的だと思っていた作品にかすかな未来が見えてきたり、キレイだと感じた映像に怖さを見出したり…。」

 

 

 

 

 

 

ダイナミックでスケールの大きな空間を行ったり来たりしつつ、Lifetimeという壮大なテーマから、そこから思い起こされる身近でささやかな個人的な記憶まで、ああでもない、こうでもないと皆で共感したり発見したりするうちに、展覧会を楽しみにしていた人も、来てみて戸惑っていた人も、それぞれにボルタンスキーの世界を味わうことができたようです。

こんなふうにアートとの出会いは人によって様々ですが、グループ鑑賞での進行役がそれに気づかず、作品をみる人や場の状況に合わせた振る舞いができないこともあります。この日も、自分の役割に精一杯で、表面をなぞるような進行になってしまう場面もありました。

小学生と美術館で作品をみる時も同じです。私たちには見慣れた環境や作品でも、子どもたちにとっては美術館にくるのが生まれて初めてのことも少なくありません。緊張したり驚いたり、ワクワクだけじゃなく、ドキドキでいっぱいの子もいるでしょう。「子どもたちは今どんな気持ちで作品をみているのだろう?」「どんな風に感じているか?」「何をみているのか?」アート・コミュニケータとしての進行役にいちばん求められるのは、常に鑑賞者の立場になって考え、その場に必要なかかわり方や声かけをしていく姿勢なんですね。

ダイレクトに訴えかける同時代を生きる現代巨匠の展覧会は、幅広い感じ方や視点が交錯し、グループでみる意味が大きかったように思います。いつもとは違った環境で、鑑賞者の立場で美術館プログラム体験をすることで、改めて大切な基本を共有することができました。そして、美術館とは作品を見る場所ではなく、考える場所だということを実感した日でもありました。(kaz)