シンポジウムセッション2「子どもが育つ環境とアート」への質問回答
Session2「子どもが育つ環境とアートー遊び・学び・コミュニケーション」を終えて
セッション2では、長年アートワークショップに関わるアーティスト・コーディネーター・公益法人の異なる角度から、印象的なワークショップ事例を交え、子どもが育つ中でアートによって開かれる可能性を考えることができました。
アーティストの心に残っているワークショップの話からは、他者との関りにおいて大切にすべきことや、人間やアートの本質にせまる話をうかがうことができました。ワークショップ体験者の先生方への聞き取りの中で、こうしたワークショップの数々が形を変えて現場で確実に活きていると実感できたことも一つの収穫です。お話を通して、漠然とつかんでいた感覚が形をもったように感じています。ワークショップの可能性をさらに追及していくための原動力になる時間でした。(近田)
概要:都市や被災地といった遊びの場が限られた子どもたちにとって、身体・音・造形などの表現は喜びと独自のコミュニケーションの時間となってきました。現代の環境をふまえたアートワークショップの今日的意義や子ども時代に育まれる力について、参加した保育士の声を交えて考えます。
登壇者:赤羽美希/即興からめーる団(音楽家)、齋藤歩((公財)港区スポーツふれあい文化健康財団文化芸術課課長)、中津川浩章(美術家)、三ツ木紀英(ARDA 代表理事)、モデレーター:近田明奈(ARDAコーディネーター)
質問の回答
(当日お答えできなかった質問に回答していきます)
Q1:なぜ、(東日本大震災被災直後の)子どもたちは最初、ワークショップに対して否定的な態度を取ったのでしょうか お考えを教えてください。
•その当時多くのアーティストが被災地に回りワークショップをしていたと記憶しています。 それまでのワークショップでの経験から「また?」となったのか
•被災地での日々でのストレスからなのでしょうか
•出会ってすぐのワークショップファシリテーターに対して 敵意を示すことで私を見てほしい、こんな私でも受け入れてほしいという 「大人を試す」安心する相手なのかの確認が行われたということでしょうか。(アートの効能があったお話は今後の活動の励みになります。) 千葉県も津波の懸念が今後考えられる地域です。参考になります。どうぞよろしくお願いします。
あの時の子どもの行動はさまざまに解釈できると思います。
震災の3ヶ月後のあの時期、学校の先生も両親も被災していて、子どもたちはヤングケアラーでもありました。児童館の先生から聞いたお話では、遊んでいた子どもが急に「あの裏山に逃げれば、また津波がきても大丈夫だよね」と話し出すことがあるくらい、津波への恐怖が心にある中で、子どもたちは愛する家族や先生の気持ちを受け止めようと日々精一杯の状況でした。児童館という家でも学校でもない場所は、唯一好きに遊べる、子どもらしく居られる場所です。精神的な余裕もないなか、自分にとって大事な時間を邪魔する人がきたということに対する素直な反応だったようにも思います。後日談で、WSの数日後にその児童館にTVが取材にきた時は、TV向けの友好的に笑顔で振る舞っていたと聞きました。子どもたちが私たちのために無理に笑ったり、従順に振る舞ってくれなくて本当によかったと思います。(三ツ木)
予想いただいているように、保護者も含め、精神面だけでなく生活面においても大変な状況にある中、来ては去っていく様々な大人への慣れと不信感のようなものがありました。学校で気持ちを抑え込んでいる反動が放課後の時間に現れていると、現場の職員の方からうかがった記憶もあります。中には試していた子もいるのかもしれません。けれど意識的にやって見せる余裕があったわけではなく、その時の切実な感情の発散だったように感じます。アーティストとの関わり合いや表現活動を通して、その感情の出口が全身で音を鳴らしたり描いたりする方法に変化し昇華していったのだと思います。(近田)
Q2;園に行くアーティストの中には、未就学児を嫌がるアーティストも居られると思いますが、どのようにアーティストに依頼しているのでしょうか?
依頼前になるべく候補のアーティストと接する機会を設け(すでに接点があるARDAコーディネーターからの推薦の場合もあり)、可能な場合はARDAのメンバーがワークショップを直接体験するようにしています。そうしてARDAメンバーがアーティストのお人柄にも触れた上でご依頼をしています。もちろん未就学児との活動に関心が向かなかったり現場の先生方との連携が難しそうな方にはご依頼できません。でも、可能性があれば未就学児との活動経験は問うていません。サポートスタッフとして実際にワークショップを体験してもらったり、事前にARDAメンバーを対象にワークショップを行って意見交換をし、対応の改善や内容のブラッシュアップをしたりして準備しています。(近田)
Q3:自然との触れ合いとアートとの触れ合いどちらも子どもたちの感性が育つには、欠かせない事だと思います。 その2つの環境が与える差異は、何なのでしょうか?
簡単な私見で恐縮です。
まず、アートの活動の中にも自然に関わるテーマであったり自然素材や自然現象が多分に含まれているものがあるので、内容によっては重なり合う部分があると考えます。
その上で、差異を考えるにあたって「自然」を人間の手が加わっていないものと捉えるなら、逆にアートやアートワークショップにあるのは人間の関与ではないでしょうか。アーティストのファシリテートで活動することは、アーティストの視点や感覚に影響を受けながら周囲の環境と接することだと言えます。そうした非日常の視点や眠っている感覚が刺激されることがアートやアートワークショップの特性なのではないでしょうか。
一方で自然との触れ合いは、人間の価値観や時間間隔などに束縛されない、人間もその一部でしかない存在に触れることです。その法則や営みに接することは、生物としての自分自身や周囲の環境を深く理解することにつながるでしょう。アートの活動も、自然の中の営みの一つであると捉えることもできます。
自然やアートとの触れ合いは、着目する点によって異なりますが、どちらも気づきや経験を与えてくれ、社会生活において閉じられた感覚を刺激し、その結論が個々人に開かれていることが共通点ではないかと感じています。(近田)
Q4:WS後の振り返りはどのような内容で、おこなわれているのですか?
基本的にはARDAコーディネーターが進行する形で、参加した先生とアーティスト、コミュニケーターが印象に残った子ども達の様子や発見したこと、そうした反応が引き出された理由、今後に活かせることについて互いに発言して共有しています。また、コーディネーターが発言のメモを取り、記録として残すようにしています。短時間ではありますが、異なる目線による気づきがある貴重な時間となっています。(近田)
Q5:子ども達の様子や、造形、音楽を、どのように保護者へ紹介されていますか?私がこの子ども達の保護者だったらと想像しながら活動を拝見して、とても感動しました。しかも「保育園の先生」からの言葉ではなく、「アーティスト」の方から、子ども達の様子やできあがったものについて教えてもらえる機会があると、その先も子ども達と一緒にいる保護者がアートに触れたり、子どもの発見ができる機会になりそうだと思いました。
まず事前にARDAが作成した保護者向けのお手紙を園で配布いただき、アーティストやワークショップ内容の紹介をしており、お子さんの感想を聞くような工夫をしています。その中で間接的にお子さんから保護者にアーティストの言っていたことが伝わることはあるようです。
また、ワークショップ後のふりかえりの際にアーティストの発言を含む記録メモを先生にお渡ししたり、コーディネーターが撮影した写真を施設に提供しています。ただ、実際保護者にどのようにお伝えいただくかまでは、具体的なお願いをしていません。写真や映像などを用いて保護者に報告されている施設もありますが、方法はまちまちです。ご質問をいただき、アーティストの言葉などを直接お伝えするような方法を検討しても良いかもしれないと思いました。ありがとうございます。(近田)